「佃」の人々と変わりゆく光景 

作者:小島健司

 「佃」の歴史は徳川家康が江戸幕府を開いた直後から始まり、東京では最古を誇っているそうです。家康の江戸入城に際し、摂津国西成郡佃村(現:大阪府大阪市西淀川区佃)の漁民が漁船をもって家康の一行を渡したところから漁業及び密使の役を受け、その後、佃の漁師たちが自力で佃をつくりあげてきました。第二次世界大戦後の高度成長にも取り残された魅力的な街でした。

 東京湾全体の大型船舶やコンテナの航路の掘削、港の造成工事が進んだ後。巨大経済大国であった日本、東京都のマイタウン構想の1つとして大川端再開発構想が1982年に承認されました。「リバーシティー21計画」という「昔の風景の復元」と「近代都市の融合計画」です。1986年に始まり、2000年位までの間に「佃」の古い景観が変貌しました。1990年代後半に景気が後退していきました。2011年には東日本大震災と福島原子力第一原子力発電所事故がおきました。2013年に2020年のオリンピック開催都市が東京と発表され、埋立地(晴海・月島・勝どき・豊海・新佃・他)の再開発や整備が進められました。2020年1月に国内で新型コロナウイルスが発生し感染者拡大により、東京オリンピック・パラリンピックが1年延期されました。週末の外出自粛や3蜜を避ける新しい生活様式が始まり政府は東京に緊急事態宣言を2020年4月~2021年9月30日までに四回出しています。3年毎の佃の祭りも延期が続き2018年以来5年ぶりの開催が2023年8月に開催されました。

 人が好きで、興味を持った「佃」という街から感じ取った独自な映像化がこの作品です。 「人間が正しく住む町」の表現です。  

  「政治・天皇・災害」という日本の現実問題、未曾有の災害・危機をのりこえ、世界人類が正しく平和に生きられるよう願います。