写真展「佃」 個展:キヤノンサロン1993年

 伝統と歴史のある町「佃」がウォーターフロント都市開発計画という時代の波を受けて一刻と変わりつつあります。
 東京にありながら田舎的要素を多分に持っている「佃」。のんびりと気の安らぐこの町を定期的に撮影することにより、それぞれの「佃」が自然に広がりのある形でみえてきました。「佃」に魅力を感じてライフワークとして記録し続けていきたいと思っています。(写真展当時の作品解説より)
1992年6月6日
1991年9月28日
1993年1月15日
1992年9月5日
1990年5月19日
1991年8月11日
1992年9
1991年10月13日
1991年4月13日
1992年9月5日
1990年8月6日
1990年8月6日
1993年2月13日
1992年11月3日
1991年11月17日
1993年2月13日
1992年6月14日
1993年1月23日
1993年2月7日
1990年11月4日
1992年8月22日
1991年12月7日
1992年4月29日
1990年8月4日
1990年7月15日
1992年8月15日
1991年3月10日
1991年9月18日
1990年3月21日
1991年1月3日
1993年1月1日
1991年10月28日
1992年10月10日
1992年6月27日
1991年10月13日
1991年1月5日
1992年10月10日
1992年2月1日
1992年2月1日
1991年11月30日
1990年9月30日
1993年1月23日
1993年1月23日
1991年3月10日
1992年10月3日
1991年4月29日
小島健司 写真展「佃」に見る現代(亡き恩師 大野信吾 国画会写真部会員)
 三年前の二月に「佃島」の題名で同じこの会場で最初の個展を開催しており、従ってこの「佃」は第二回展である。初めの個展開催当時は、この地域がとりこまれたウォーターフロント計画や、もっと広い地域の巨大なプロジェクトである臨海開発を東京が発表し、巨大経済国として話題になった時期でもあった。それは大都市東京の未来に夢を持たすような、住宅や超高層インテリジェントビルそして巨大遊園地などを造成する計画であるが、しかしこれは東京一極集中化が問題とされている現在では、果てしもなく幻想に近い計画であり、赤字財政の東京としては再構築を余儀なくされることだろう。
 古来、江戸は水路豊かな町並みであった。江戸が東京になり人口増加と共にこの重要な水路はかき消され、近代化と云う命題の下に住宅地や道路に変貌した。都市の近代化と共に変貌する町並みのなかで、この佃島は時代に取り残されたが如く昔の東京の下町風情があり、それを写し続けるカメラマンは数多いが、小島君は東京湾の埋め立て地「月島」に住まい、学生時代から周囲の地域として佃島を丹念に記録し続けており、彼もまた佃島に魅せられたカメラマンの一人である。
 私が主宰するワークショップのメンバーの中では最も寡黙であるが、ヒューマンな心を持つ優しい人間である。今回の作品はその優しい目で子供や老人を捉えた第一回展とは異なり、かなり覚めた目で変貌する都市の中の佃を捉えている。恐らく自分が住む町から感じ取った、独自の都市論を映像化したものだと思われ、そしてこれからも生涯のテーマとして「佃」を写し続けるだろう。発展と云う名の下にできた新都心の、空きビルと空き地が目立つ地域に住んでいる者にとっては、正しく人間が住む町を見せられた思いである。
 時代が変わっても変わらぬ風情の写真を多く見せて頂きたい。今後の活躍を期待して止まない。