佃 小島健司 写真展:キヤノンサロン1993年
佃 -川辺の潤い- 佃の歴史は徳川家康が江戸幕府を開いた直後から始まり、東京では最古を誇っているそうです。即ち、家康の江戸入城に際し摂津西成群佃村の魚民が魚船をもって家康の一行を渡したということから魚りょう及び密使の役を受けました。その後、佃島の漁師たちが自力で佃島をつくりあげてきたという歴史があります。 1964年に「佃の渡し」に代わって佃大橋が架けられるまでは、真に隅田川と向きあい暮らしてきたのでしょう。古いものの良さを自然にわからせてくれるこの街、しっとりとした路地、垣根のない近所づきあい、小橋からの舟溜まりの風景が、川辺の潤いが、私に触れ心を開くことを教えてくれて、満たしてくれたのです。(写真展当時の作品解説より)
小島健司 写真展「佃」に見る現代(亡き恩師 大野信吾 国画会写真部会員) 三年前の二月に「佃島」の題名で同じこの会場で最初の個展を開催しており、従ってこの「佃」は第二回展である。初めの個展開催当時は、この地域がとりこまれたウォーターフロント計画や、もっと広い地域の巨大なプロジェクトである臨海開発を東京が発表し、巨大経済国として話題になった時期でもあった。それは大都市東京の未来に夢を持たすような、住宅や超高層インテリジェントビルそして巨大遊園地などを造成する計画であるが、しかしこれは東京一極集中化が問題とされている現在では、果てしもなく幻想に近い計画であり、赤字財政の東京としては再構築を余儀なくされることだろう。 古来、江戸は水路豊かな町並みであった。江戸が東京になり人口増加と共にこの重要な水路はかき消され、近代化と云う命題の下に住宅地や道路に変貌した。都市の近代化と共に変貌する町並みのなかで、この佃島は時代に取り残されたが如く昔の東京の下町風情があり、それを写し続けるカメラマンは数多いが、小島君は東京湾の埋め立て地「月島」に住まい、学生時代から周囲の地域として佃島を丹念に記録し続けており、彼もまた佃島に魅せられたカメラマンの一人である。 私が主宰するワークショップのメンバーの中では最も寡黙であるが、ヒューマンな心を持つ優しい人間である。今回の作品はその優しい目で子供や老人を捉えた第一回展とは異なり、かなり覚めた目で変貌する都市の中の佃を捉えている。恐らく自分が住む町から感じ取った、独自の都市論を映像化したものだと思われ、そしてこれからも生涯のテーマとして「佃」を写し続けるだろう。発展と云う名の下にできた新都心の、空きビルと空き地が目立つ地域に住んでいる者にとっては、正しく人間が住む町を見せられた思いである。 時代が変わっても変わらぬ風情の写真を多く見せて頂きたい。今後の活躍を期待して止まない。